2013年12月22日日曜日

内田樹氏のお話を聞いた話−1

先日のこと。
鉄道芸術祭という中之島アートエリアB1で開催されているシリーズのイベントの最終回が内田樹氏だということを知り、ぜひとも一度直接お話しを聞きたいと思っていた一人なので参加してきた。
(ちなみに、ぜひともお目にかかりたい人もう一人は村上春樹)
(ちなみに、鉄道芸術祭は松岡正剛氏の編集工学研究所がプロデュースですよ)

「関西に住む読み手たちへ」というタイトルでのお話1時間半。

話は大きくわけると2つ。
ー現在の出版状況のあかんとこ、本来の言説のあるべきところ
ー書き手と読み手の幸せな関係

まず1つ目。
読み手の地域性は特に意識したことはないが、
出版については日本の出版社の99%が東京に集中している状況とのこと。
そしてビジネスソリッド中心になっており冒険しない。

そして雑誌も新聞も文芸書もどんどん売れなくなっている。

なぜか?
雑誌は対象とするマーケットやターゲットをどんどん具体化していっている。
例えば、AERAだと東京で働く子持ちの女性。年収はこれくらい。とか。
具体的にしていくことで、明確なメッセージが打ち出せたり、手に取られるんですよ、広告家さんもいう。
これはそもそも、
「ありもののマーケットをターゲットにしている」事自体が間違いのもとだと。
すでにあるマーケットに合わせていっていると、
どんどん具体的にするにつれ縮小していくのは必然。

さらに、もう一つ。
発信者が個人の身体を提供していない。
誰かがが入っていること、なんとなく言われていることを、
そういうことが言ってそうな人に喋らせて書く。
そこに創り手としての主張や主義は全くないという。
昔の雑誌(特に週刊誌)はものすごくとんがっていたそう。
持っている重みが全然違いますよね。

日本の言説の状況は、
平均的な言論的リテラシーは他国に比べて高い
しかし、如何せん数が多い
よって、対象をしぼりきれずぼやけてしまうという特徴があるという。

関わる人が多くなるとどうしても制約が増え、
またそれに加え創り手が個人の身体を提供しなくなる(人物不本意になる)と、冒険をしなくなる。
新しいことはやってうまくいかないと責任を個人として取らなければならない、だから怒られないためには「他でもやっていることをやる」。

そういう、負のスパイラルらしい。
確かに私達は自分の意見や主張をきっぱりと自分名義で発信することがめっきりと減った気がする。
SNSがあることで発信はしやすくなったけれども、
その内容は考えてでてきた自分の意見ではなく、
なんとなく見つけて「そうそう!」と思った誰かの意見。

リツイートリツイートリツイート。

そりゃ、読み手のリテラシーもさがりますね。
「誰のかよくわかんないの意見」を読むことに慣れてしまって、
それをさも自分で考えたかのようにつぶやいてみる。
それに満足しないようにしていきたいと改めて。

2こ目の、読み手と書き手の幸せな関係はまた次に。


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